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いいことを教えてやろうか

なんだか自分だけが辛いみたいな記事を書いてしまったな。反省。

 

とりあえず落ち着こう。

 

みんな大変なんだ。そして、一気に難しいことからやろうとするからいけない。できることから、できることから。

 

 

そういえば2ヶ月前にここに書いた、悩んでいたことってのは今は平気になった。できることからやったからかな。わからないけど、1日に一言以上、人と会話を交わすようになった。意外と短い期間で思いっきり環境が変わることもあるなあ。

 

ふぅ。落ち着こう。

 

 もしもボックスが欲しいのは、私がないものねだりばかりだからかな。

 

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糸井重里の生きている人はっていう文。良いなあ。やはり読んでよかった。私は、ことばの力みたいなものを、少しだけ信じている。

 

いいことを教えてやろうか。

いつだっておれは負けそうなのだ。

安心させてやるよ

おれは、いつだって壊れそうだ

もろく崩れそうだ

 

 

 

少し、元気が出た。

 

 

 

 

 

 

わからなくなったら、口角をあげろ

 

 

大切な言葉になりそうだ。

歳を重ねるにつれてこの辛さがひどくなってきたなあくらいには思っていたけど最近は特にひどいな、1日単位でひどくなってる気がする。気をぬくと泣いてる。前はここまでじゃなかったのにどうしてだろう。多分、もう時間がないからだろうな。困ったな、困った。

自分を傷つけたくなくてダラダラダラダラここまで来たけどもう無理なんじゃないかな。ってなんとなくわかってる。頑張らなきゃやばい、頑張らなきゃやばい。女性にならなきゃちゃんと。女なんだから、女らしく。もっと視野を広くとれたらいいんだがな、嫌だという感情が邪魔をして、色々と見えなくなっている。大事なことを忘れている気がする。

 

大好きな無料漫画に、精神的に向上心がないやつはバカだと思うって主人公が自分に思うシーンがある。

 

本当に、そう思う。

 

中途半端。自分を否定するための努力も、受け入れる努力もしてない。なれないものを、ただねだっているだけ。どっちにもなれない、病気にもなれない。認める勇気もない。

甘いなあ、自分。甘いよ自分。努力しろよ。みんな嫌なんだってさ。化粧も女性らしさを求められることも。嫌なのは同じなんだってさ。だから、私が自分に甘えてるだけなんだよ。ほんと、くだらないよなあ。こんなに自分に甘い人間いるのかなあ。馬鹿みたいだなあ。みんな嫌だけど頑張ってるんだってネットに書いてあったよ。だから、お前も頑張れよはやく。変える気がないのかな、変わる気がないんだろうな。それは甘ったれだと、自分に思っていれば誰かに許されると思っているんだろうな。毎日自分にがっかりして、がっかりしてれば、誰かが許してくれると思ってるのかよって自分を責めて、責めれば責めるほど、自分に甘えてることに気づいて、その繰り返し。

 

ほんとうに、みんなこんなに嫌なの?こんなに苦しいの?私はどうして、こんなに嫌なの?自分に甘いから?努力してないから?行動しないから?

病気じゃないなら、ほらはやく。でも病気って言われたのなら、もう努力しなくていいのかなあ。

毎日毎日毎日毎日検索しても、結局自分のことがよくわからない。わからないままでいたいから、わからないのだろうか。

 

私はどうしたいんだろう。

 

想像できることは、実現可能なことらしい。

想像できることだよ。じゃあ実現可能なことなんだね。

でも。

想像すると同時に、自分がいなくなるのはどうして?閉じ込められる気がするのはどうして?今よりもっともっと、自分が遠くにいる感じがするのはどうしてなんだろう。

1日の半分、頑張ればいいだけ。12時間だけ、女性らしくして、あとは戻ればいい。1日の半分、つまり、人生の半分。

 

 

たったそれだけ、自分を閉じ込めるだけで生きやすい世界だ。

 

 

生きていける気がしないから、もう消えたいなんてまったく大袈裟なんだから、たかがそれだけでしょ?頑張れはやく。もっとはやく。

 

苦しいとか言ってる暇あるなら、

頑張れ、努力しろ、甘えるな。逃げちゃダメだよ。逃げるなよ。 

 

 

 

 

 

助けて。

 

すぐに行けるよ なぜなら僕は

今日はBUMP OF CHICKENの時空かくれんぼについて書きたいことを書いていこうかな。


この間、頭に鳥のフンが落ちてきた。
運がつくね、なんて嘘だと思ってたけど運が良い日でした。まあ、自分がそう思おうとしただけかもしれないけど。なぜそう思ったかと言うと、時空かくれんぼについて本人が言及している文を見つけることができたから。ずっと探してたけどまさか飴玉の唄について調べていたところで見つけるとは。

http://www.tfm.co.jp/lock/bump/orbitalperiod/080108.html

世の中に逃げ場はない。
世の中に逃げ場はある。


ああ、よかった。わたしがこの歌詞について考えていることと近いかもしれない。言葉にできないというのも、なんとなくだけどわかるような気がする。私は自分のことを責める私から逃げ出す歌に聴こえたからそう聴いていた。解釈はきっと、人それぞれなんだろうな。

もういいかい
もういいよ

隠れている側が言う「もういいかい」
探す側が言う「もういいよ」

本来かくれんぼでは

探す側が言う「もういいかい」
隠れている側が言う「もういいよ」


なぜこの歌は逆なのだろう。

私には、「もういいかい」が、隠れている人を探すときの言葉ではなく、逃げている私が私自身に言う、許しを請う台詞にも聴こえる。それは私がいつも私から逃げているからなのかな。。でもこれだけで考えるとこの歌には少し矛盾が生まれてくる気もする。ラスサビの前は普通にかくれんぼしているように聴こえるからだ。ダブルミーニングなのか、もはや全然違う意味なのか。

ダブルミーニングといえばもう一つ。
もういいかい 過去『もういいよ』今
これもなんか不思議だよね。

①「もういいかい過去」by未来 「もういいよ今」by過去
②「もういいかい」by過去 「もういいよ」by未来

私は②だと思うけど、もしかしたらもっと他に意味があるのかもしれないな。わかるようでわからない。私にとって、そんな歌。わからなくても、大好きな歌。

 

このサイトを見て、曲の印象が少し変わった曲もある。

メーデー」と「ハンマーソングと痛みの塔」。

ハンマーソングはあまり変わってないか。でも少し変わったかな。ズドーンて感じ。これ聴くと人によって立ち位置が分かれるのかな。悲劇のヒロイン側と、そんな人に歌いたい側と。

私は悲劇のヒロインに浸ってんじゃねーぞって言われてる気分になるから悲劇のヒロイン側だ。でもこれはきっとそんな人に歌いたい側の歌なんだろうなってこれを読んで思った。

どちらにせよ、そんなに高いところで殻に閉じこもってないで、お喋りしようぜという歌だっていうのはちゃんと汲み取れてはいたんだけどね。

今まで、そんな大切な人に歌いたい側として聴いたことがなかったから、これを読んでなんか意外だったのかもしれない。でもとても納得。

まあ確かに大切な人がそんなところにいたらそりゃふざけんじゃねーぞって思うもんな。そんな塔を積み上げてないで、一緒にお話ししようって思うもんね。


メーデーはだいぶ変わったかなあ。
文字に起こすと、なんか小さな変化かもしれないけど。僕が君を助けるよという歌だと思ってた。でもやっぱり、自分を助けられるのは自分しかいないという意味の歌らしい。これ聴くだけで私の中でだいぶ違う歌になった。楽しい楽しい。

そう、こういうのを見つけられたから、だから運がよい日だった。時空かくれんぼのことについて読んだとき、なんだか泣きそうになった。今もだけどね。歌詞を見てるだけより、曲を聴いてると泣きそうになるんだよな。

 

世の中に逃げ場はない。
世の中に逃げ場はある。

隠れる場所は いつであろうと 僕の心の中だったけど 君を見つけて 君に隠すよ ずっと探さなくてもいい かくれんぼ

このフレーズだけで、私はこの曲が大好きだ。
私にとっての「君」、思い当たる人がいることをとても幸せに思う。たとえ解釈が間違っていたとしてもね。

楽しかったからまたなにか曲について思うことがあったら書こう。読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

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ここからは全然関係ないけど

トランプが当選したね。

LGBTかあ。

コンバージョンセラピーの支持。すごいな、人間じゃないみたい。

心が痛いな。ここはアメリカじゃないけど。

痛い痛い痛い痛い。

どんな記事を読んでも泣きそうだ。

 

 

 

 

つべこべ言わずに

いろいろ考えると気分が沈みすぎて、電車でお腹痛い人かと思うくらい猫背になってしまう今日この頃。全然お腹は痛くないのにな。

 

出来ることからはじめてみようかなあ。

 

まずは挨拶をしてみましょう。
出来たら1日に一言喋ってみましょう。


今日はできたよ。気持ちがよいね。

考えるのはあと、とりあえずやってみよう。

このままずっと考えてたら目の前が真っ暗になっちゃう。

 

なんとかなるよ。

わたしはいつもなんとかしてきたから。

酉年

あけましておめでとうございます。

 

初日の出を見に行く時に、新年早々、今年も怖いねって話してたけど案外みんなそうなのかしらね。
出逢えてよかったと言ってもらえるように、誰かに悦びをを与えられる年にしよう。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

哀しいこと

 

 

 

なんだかいつも裏切っている気分になる。

 

 

自分のことをとても好いてくれている友達が、私には何人かいる。
私ももちろんその人たちのことが大好きで、これからも付き合っていきたい大切な人達だ。

だからこそ。

嘘をつき続けていることがとても悲しい。

私のことを知らなくても、その人達は大切な人達だし、その人達が知らない私は、私を構成するほんの一部でしかない。そんなことはわかってる。

でも大切な人に嘘をついていいのかな。つき続けてもいいのかな。ほんとうに?

どうでもいい人ならなにも思わなかった。

でも。どうでもいい人じゃないよ。

なんで怖いの。言えないの。笑っちゃうくらい怖いよ。
受け入れられないと思っているのかな。
あとでなにか言われると思っているのかな。

きっと他の人に広められておしまいだと、そう思っているのかな。
どうして信じられないのかな。

私は信じてくれている人たちを、信じられない自分が嫌で嫌で仕方がない。

 

「君に出会えて本当に良かった」

嬉しいよ。本当に嬉しいよ。噛み締めてる。

でも苦しい。私にくれるたくさんの暖かい言葉を聴くたびにごめんなさい。ごめんなさいと思い続けている。
「嘘をつくことはそんなに悪いことじゃない。
自分を守るためなら、嘘をついてほしい。」

私は自分以外の誰かにはきっとそう言えるだろう。でも自分には思えない。

どうして?


"疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくても"

 

疑うより信じていたい。私だって。

全然平気。全然平気なのに。大したことじゃないのに。
なんで言えないんだろう。

なんでこんなに苦しいんだろう。

 

この程度

今日は自己紹介。

私は同性愛者です。性自認は女性のはず。でもなんかよくわからない部分もある。自分が何者かに定義されたくて、Xgender(無性、中性、両性、その他)という枠組みにおさまろうと考えた時もあったけど、今はそんな枠組みはどうでもよくて、結局は一人一人違うものだから何に当てはまらなくてもいいかなと思う。まあこう思っているのも流動的というか、そのうちまた枠にはまりたくなる日も来るのかもしれないけど。さて、sexual minorityとかについて書くのは初めてだ。

 私が同性愛者だと気付いたのは10歳の時。小学5年生。なんとなくだけど、人に言ってはいけないということだけはわかった。別に自分の中で普通であり、自然なことだったから、気づいた時は悩んだりしなかった。歳を重ねるにつれて余計なことを考えるようになったせいか悩むことは増えたけど。性自認がなんか人と違うなと思ったのはもっと前。小学2年生とかそのへん。おままごとみたいなやつ、やるじゃんね、小学生って。女の子の役が嫌だったのが一番古い記憶かなあ。これも大きくなるにつれて悩むようになった。大人になるにつれて許されないことが増えていく気がして。壁みたいなものが迫ってくるイメージかな。もう後が無い。乗り越えられる気がしない壁に負ける。いつもそんな気がしてる。どうやって抜け道を探すか、早く見つけなくちゃいけないのに、どうしてもとどまったまま。いっそ法律で決めてくれたらいい。こういう服装をして、こういうことをしないと、捕まるって言ってくれたら割り切れるのに。自由だから、暗黙の了解があるから苦しい。今はどちらかというと性的指向より性自認で悩む。毎日どうしても意識してしまうものは性自認のほうが多いからだ。トイレに行く時もそう、歩いてる時だってそう。

「あいつちょっとおかしいよな。」

どうして誰にも言われていないのに、言われている気がするのだろう。気にするほど見られてもいないのなんかわかっている。それでも怖いものはたくさんある。自由に、聞こえないはずの声に、押しつぶされそうな日がある。大人になるということは自由の扱いがうまくなるということらしい。いつかそんな日が来るのかな。今は全く想像できない。

 

そもそもこの話をしようとしたのは最近の成宮くんの芸能界引退があったからだ。

「薬をやってないなら、引退したほうが怪しい。」
そういうことなのかな。

自分の身の潔白を証明したい気持ちよりもずっと、消えてなくなりたい気持ちが強かったんじゃないかと思う。消えてなくなりたいって、直筆で書くためには、哀しいエネルギーがどれだけ必要なんだろう。

 "人には絶対に知られたくないセクシャリティな部分もクローズアップされてしまった。"

彼が自分のセクシャリティにコンプレックスを持っていたのは文面からわかる。自分が自らセクシャリティについて打ち明けることは"カミングアウト"。でもこれは"アウティング。"  アウティングとは、自分の望んでいないところで性的指向性自認を暴露されること。私は彼の気持ちはわからないし、彼のセクシャリティも本人の口から発表されたわけではないから結局のところ知らないけど、私は自分がアウティングされたらと思うと心臓が痛い。本当に苦しい。それが大切な人であればあるほど。こんな狭い世界でしか生きていない私が想像しただけで苦しくて泣きそうになるんだから、彼の気持ちなんて計り知れない。どれだけ怖いかわからない。ただでさえ、人に知られていない時でさえ、こんなに怖いのに。

大学生がアウティングされて自殺した事件。自殺した人は弱かったの?本当に?

自分自身でコンプレックスに思っていることや偏見があることを人に知られたとき、心臓を握りつぶされそうな気持ちになること。これはあまりにも知られていない。知ろうとされていない。何気ない行動の中に、自分のマイノリティを意識する場面がいくつあるかなんか数え切れない。何気ない会話の中に混ぜられる冗談。そんなことで今更傷ついたりしない。傷つく暇なんかない。傷つく暇なんかないのは、それくらい頻繁だからだ。確かに以前よりは世の中に認められてきたかもしれない。でもそれが実感として現れる場面が本当に少ない。性別に囚われたくない自分が誰よりも囚われているのもわかってるし、本当は自分が一番、自分に偏見を持っていることも気づいている。だってずっと考えてきたんだもの。ずっと付き合っていかなくちゃいけないんだもの。

「難しく考えすぎじゃない?もうちょっと気楽に生きれば?」そうだね。考えすぎなことも、わかっているんだよ。でも毎日つきまとう。なんでだろうね。私が弱いのかもね。もっと強い人は、それはそれはたくさんいるだろうね。でも弱い人がいることも知ってほしいよ。たとえ甘えと言われても。

人の気持ちはわからないよ。苦しみなんかわからない。言葉で言われたって、それは言葉でしかない。これはminorityに限らないし、人と比べるものじゃない。「もっと大変な人もいるのに。」とか「この程度のことで悩んでるなんて馬鹿みたいだよね」とか友達に相談されるときによく言われるけど、それは自分にとってどうでもよくないことだから、"この程度のこと"が"この程度のこと"と自分で思えないから悩むわけだから、そんなことを思う必要は全然ない。人は自分の傷にばかり敏感で他人の傷には鈍感なことを、この報道でまた思い知らされたよ。

もちろん、私も例外ではないけど。